男神五柱は人間に取て男の理、一家に取ては夫の理。女神五柱は女に当る、一家に取ては嫁の理。しかし月日二神は人間に取ては総て主宰者辛故、親主君或いは親方とか一家に取ては主人主婦父母等。
人間のする事は一つもない皆神様なり、男神は男に入込み女神は女に入込み世界も身の内も同一に御守護下さる皆人間の自由用が神の自由用御働きである。神様と身の内と別々に思うて居ては天理は分らぬ。神は身の内に御座るなり。神様と身体を一つに考えされば悟り諭しは明らかに分らん。
天理教祖臨終の間際に高弟飯降伊蔵を通じて下つた天啓に
「サア/\月日(神)あつて此の世界(地球)、世界あつてそれ/\(万物)あり、それ/\あつて身の内(人間)あり、身の内あつて律(法律)がある、律があつても心の定め(信仰)これが第一」
と云ふ言葉があるが畢竟法律(人為律)は時と処と人とに依つて変更せらるべきものであるが自然律即ち神の意志は永久に変更すべからざるものである。且つ法律の力は僅かに外界に表われたる形式を支配するに止まれども自然律は内界即ち人間の精神並に肉体を支配する魔力を有す。従つて法律は時と所に依つて犯すことが出来ても自然律は犯すことが出来ない。強いてこれを犯せばただ死あるのみである。
明治廿四年二月七日夜二時即ち日本に始めて国会の召集せられた翌年の天啓に「さあ思案してくれ。これから先は神一条の道国会では治まらん。神一条の道で治める」と云ふ天啓がある。これは法律の力をもつてしては此の世界を到底真に統治することは出来ない。何うしても神の道即ち宗教の力によらざれば新の根本的統治の出来ないことを預言せられたのである。
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