大小潤の訳

月に大小あるは男大、女小の形あり、故に親神其理を計り御守護下さるは六十年に十二ヶ月潤あるは女に月水を下さるなり。

 

 晦日と云うは月様、全光悉皆黒くなり玉う即ち宵の三時にてかくの如く真っ黒なり。朔日と云うは夜の三時にて一分白くなりたまう。一日四分というは一年四季の理なり。四分宛十五は即ち十六分にて満月なり。

 

 十六日夜、五ヵ年六十一ヶ月は一つの潤、六十年に七百三十二ヵ月の潤にて即ち一ヵ年なり。女十六より四十五まで三十年の間に三百六十日の不用水在り、一年に十二日の不用水在り。一日子の刻より亥の刻迄月水満ちる時は働き不自由なるゆえに、三日或は長きは五日共して御守護下さるは親神様、子を憐れみ給うなり。

 

 十八才より四十八才、二十才より五十才、十六才より早きと五十才より遅きは、前世因縁と親の因縁の理あるなり。月経は天の月様の恵みなり。潤壬は雲読様が水を分け下さる理なり。

 女の魂は日様の分魂故、三十年間の月水無ければ女は焼け死ぬ故、月様より授け下さる水なれど女の身が日様の分身故、赤き心写りて赤くなる。総て血液は日様にて赤くなる。

 

 三十年間月様よりそれだけの余分の水を御守護下さるで、七十とか八十、九十と、男と同様に連れて通り下さる。月経は色気の花なり、色気なき者にはなし、世界にては桃の花と同じ理。二十九日の小月が女の理故、潤月が月経なり、潤月があって男と同じ事になる理なり。