十二支之訳

 十二支の動物は人間に成るすぐ前のものである。一番人間に近づいたものなり。人間が最初は五分に生まれ長き年限の間に、八千八度生まれ替わったと仰って色々のものに変化して潜ったのみならず、神様も開闢の間皆潜って通って下さった。それで子丑寅卯と云うような十二支の名があるなり。

 

人間でなく神様が此の十二支に御変化下されしもの故に、其の理が獣類に有る、人間も此の年に生まれた者は因縁として此の性質が有る、しかし是れは大大体の事で大あらめの事なり、其の人/\にて性質は異なるものなれども、十二支の神に対する因縁の性質、此の理は必ず多少有る、又神様は人間をここまでに育て上げる為には実に容易ならん永々の間の御苦労を下されたものなり。

 

 例えば人間が狗位な時代には馬とか虎とか獅子とか云うようなものに、御変化して下されて在った、それで恐れて治まったので全く成人して人間と仕上げた上は神様は元の神と成り給う、神と云うものは、人間の姿にでも龍にでも大蛇にでも何にでもなる、人間の智恵では到底思い計る事の出来ない御力、いわゆる通力の有るものが即ち神である。

 

 辰巳と云うてくにさつちの尊も龍に御変化下さった故に金銭には龍が書いてある、此の世に昔より大きな恐ろしいものは皆月日が色々の者に変化して居られるなり、或いは悪気を戒め、善道に導き下された天地開闢の時は八十夫婦揃うた、之れは八方八社の理、此の時に開闢の時の親様はくにさつち様、月日様の思召しにより之れは女猿と変化して出たと仰せ下さる猿王権現と祭っているは此の神。産の王と云う神様なり。

 

 九億九万年は泥海中の御苦労下さった間、九千九百九十九年は開闢下されての後の年限故、一世天保九年から二世となる、但し九億九万と云うは分からん事を云い下さった事神様には御作り下されたものゆえ、年数は分かっているけれど人間には泥海の何にも分からん間を九おくと云うてある、仏教で西方十万億土というようなもので人間では分らん事。

 

 最初五分の人間が四寸に成長してより八千八たびと云うて鳥やけものをくぐる最初は魚の形、魚でもうろこやひれのないものからうろこの有る泳ぐ魚となり、魚から鳥となる、鳥でもだん/\発達して鷲や鶴のようになってから獣となる、獣類もだん/\生まれかわり死にかわり発達して、馬とか牛狗とか云う様なものになって人間と成ったもの也。

 最初魚から鳥に変化する第一歩はあひる、あひるは前世は魚故に前世をよう忘れん、水をよう離れん如くで人間も何程結構な話聞いても好きな道で怪我をする如きもので、それが即ち前世因縁故、是れを立て替えるのが御道一条人助ける善の方へ心を向け力を入れるに従って心の成長発達変化して(悪が取れる)、

 皆一世の間神様が変化さして育て上げて下さった全て水や火にかければ何物も色々変って来る如し、依ってだん/\今日の状態に迄人間も世界も進歩して来たものと仰せ下さるものなり。

 

 又人間が八寸に成人した時泥海中が水と土とが分りかけ一尺八寸の時、海山天地日月分りかけ三尺にて物を云いかけ、五尺に成人した時、海山天地世界も皆出来たと仰せ下さる、だん/\と成人に応じてじき物、りゅうけいも、不自由なきように与え下されて、水中をはなれて陸地にあがりて住むようになり万の事を人間に入込んで教え仕込み下された。

 

 人間も初めは裸体で又穴に住まい一穴に何人と住まうて段々子を産み繁殖す、それで今に穴のぞきと云う事を云う一回りと云うを七日間とするは、元奈良長谷七里四方の間に七日間に産み下ろしの理、今に生まれた時は一と七夜とは月様殖える方、死んだ時は一と七日は日様へる方三十日にて山城、伊賀、河内、産み下ろし三十日を一と月と云う大和国内に産み下ろしの人間が日本の人間故大和魂という、日本魂。天理から人間と現わして此の世に産み出して世界万物御作り下されたる親様の御苦労は容易でない。

 

ようこそここ迄ついてきた、実の助けはこれからや、と仰せられる魂が落ちんように色々と神が入込んで神となり、仏と成り、宗教宗派種々と教えの道を拵えて一世の間、育てて下された故、元々より神の思惑たる陽気ずくめの真の神世に出来る人間と、成人して今その時季旬刻限が至ったのであるから最早是れ迄一世の間のようにあちこちと魂の変化は絶対にないことになる。

 

例えば人間も一人前になったら片付く今迄の年限は子供の成人の時代なり、これから先が神の世となる。そこで此の度は二世界の立替の時故、此の度魂が落ちたらもう上げる事が出来ぬと仰せ下さるのである。

  前世やの因縁よせてしゅごする、これは末代しかと治まると御筆先に有る、是れは皆、人間の魂を分けて心通り神が役割を定め下さる事なり。

  (くにさつちの尊より三寸にて生まれ八寸と成長八寸の男女、五つ夫婦へ男五人、女五人宿仕込み給う、三寸五分にて生まれ一尺八寸と成長す右誤り也)

 

 (世界開闢)くにさつちの尊の御腹より男五人、女五人五つ夫婦、人間三寸にて生まれ、八寸と成長す此の八寸の人間に五つ夫婦ずつ即ち男二十五人女二十五人宿仕込み下さる八寸の女、男女十人子を生みて三寸五分より一尺八寸に成長す、一尺八寸の一と夫婦へ一と夫婦ずつ宿仕込んで、即ち男女五十人四寸に生まれ三尺と成長す、時に世界高低と水の三つに分る。此の三尺の人間二十五夫婦に一と夫婦ずつ宿仕込んで即ち二十五夫婦五十人の人生まる。

 是れ八寸に生まれて五尺と成長す、時に世界全く開闢す。八寸の人間男女十人五夫婦、一尺八寸の男女五十人二十五夫婦三尺の男女五十人二十五夫婦、五尺の人間男女五十人二十五夫婦以上八十夫婦百六十人、天地全く開闢す。

 それより九千九百九十九年間即ち、天保九年、戌年にて一世年限満ちる。八寸の男女人間の元祖、くにさつちの尊女猿と現れ是れ人間の先祖也。此の女猿より八十夫婦揃うて天地開闢せし時と此の度の御教祖より二世立替となるのと同一此の理大切也、天地開闢してより六千年の間は神代此の間は人間に万の事を教え仕込み下さる年限又神様も何でも人間を殖やそうとして居らるゝ時なり。

 

 此の世の元創まりは泥の海と仰せられ、泥々とした水土の別れもなく、月日と云うもなく、人間もなく、世界もなく、只茫々とした泥の海にて北もなく、南もなく、東と云うもなく、西と云うもなく、只今のおぼろ月夜の如きもうろうとして真っ暗でもなく、明るい事もなく、其の中に二神あり是れ今日の月日二神なり。月様が、国床を見定められて、御立ち昇り、国の床を御立て下されし故、くにとこたちの尊と申し上げる、

 夜となく昼となく泥海中を御照らしなされましたが泥海中に只呆然と神が居たばかりでは何の楽しみもない神と云うて敬うものもなく気のいずむ事なり、是れより我々両神心を合わせ、どうか手足の付いた重宝な人間を拵え物を言わし、又世界を開闢して其の人間に我等両神心を入込み物を教えて守護すれば日がら刻限立つことならば此の人間に陽気遊散をさせ又其の他何事も見らるゝ事と其の人間に入込んで世界の陽気を見よとの御相談月様より日様になさる、

 日様も御同意にて殊のほか御面を笑み給い早速御承知に相成る。思いが足ったと云う理でおもたるの尊と申し上げる。又女は子を育つる役故上より種を授かれば其の身が重くなる理又此の理を以って人間も男より全ての指図を出す、女は之れに応じて働くのが順序となり、又女は夫の云う事にはそむいては成らんと云う事も皆此の神の理から出る、

 又日様が後より御現われ日を照らし給いし故人間夫婦も女は男より年下と云うも順序となる、又其の人間には何と何を食わしてどお云う事をさせよとの御相談 紋型の更に無き人間を拵えるには雛型種苗代道具がなくては作れぬ、所から泥海中を見澄まし給いいざなぎいざなみ様御二方を見出され是れを人間男女の雛型と定め又六社の神様を一々御承知の上貰い受け其の御心味わいを見て人間の道具と造り仕込み給う。

 

 いざなぎの尊様には月様の御神魂入込み給うて天を象り夫の理として父となり給い、いざなみの尊様には日様入込み給うて地を象り婦人の理として母と成り給いて創めて人間と云うものを此の世に生み出された、故に人間は正しく月日の子で有る月様の御心入込み男の魂となり。女は日様の御心入込み給うて女の魂と成る故男女は身心違う。なと云うて月様男一人、むと云うて日様女一人なむなむと宿仕込み下さる。

 

 例えば人間でも世の中に只一人や二人有るだけでは何の楽しい事も面白い事もない多人数有ってこそ其の中に陽気も生じ楽しみ有る。又親だけにて子が一人も無くば寂しい楽しみもないと同じ。又是れを例えて申さばここに一つの鉄瓶が有りとする、この鉄瓶の鋳型はいざなぎいざなみ二神とし、其の鉄と云う原料は月日二神で有って鉄を分けて別に鉄瓶を作ったものが即ち人間と云うが如し。

 器械で創造する雛型が容易ではない雛型が出来たら容易に出来る紋形の無き人間を拵えるに八方八神を集めて型を造られたる故に人間は神の八方と云うかの昔よりの式来りにて伊勢の大神宮を始め各神社の神楽として獅子を舞う法式は月日様泥海中に現われ人間を作り世界開闢する為に上に上がり下に沈み御苦労下されたる泥海中より御立ち上がり給いし元々の有様を象りたる理と悟るべきなり。

 又八柱の神様には一旦月日に御承知の上飲まれ給うて月日は皆食ってしもうて其の心味わいを見て其の性を人間と御造化下されしものなり。故に八方の神様は元々の御姿は無くなり是れより次第に御変化下さる人間始め万物に変化下されしものなり。故に人間の身体は即ち八社の神様の御変化成し下されたる其の実体なる事を知るべきなり。依って人体と神様と別々で無き事を知るべし。

 月日は天に御心現わし万物に御心入込み段々御変化なし下されて八柱様も皆同じ人間を成長さす為に御苦労下さる。人間の心一つを楽しみて居て下さるが神なり道具の神様は其の道/\だけ日夜御苦労下さるは是れを御楽しみとして御働き下さる。(人間我が子可愛いも同じ)

 

 食事の時はくもよみの尊が表に立ちおおとのべの尊が裏にて飲み食い出来る故此の二神の御働き聞く事物云う時はたいしょくてんの尊に立ちてかしこねの尊表にて出来る。言葉は此の二神の御働き色情の時はつきよみの尊だけでは出来ん。くにさつちの尊御二方の働き、例えば人間働くにも食事をせねば働けぬ、働くだけと云う事は出来んが如し。

 

 月日二神は見る事御骨折御働きなれど此の二神は何れの働きにも入込み給わされば出来ぬ。つきよみの尊は月様の一の道具神、くにさつちの尊は日様一の道具神。

 

 かしこねの尊たいしょくてんの尊は天に御座る即ち顔頭に御住まい下さる月日に添い給う、くにさつちの尊つきよみの尊は地の低い所に御住まい下さるが色情の大切なる御守護ある如く月日様より皆使うて御座るものなり、故に人間は勝手の事に神様を使う故迫る也(人間のものは只心一つだけなり。

 心は無形のものなり)交合の時はつきよみの尊くにさつちの尊代理にて、十柱の神共に御働き下さる、見る時は月日様代理となり給い、十柱の神御働き下され、物言う時はこしこねの尊代理となり給い、食事の時はくもよみの尊代理となって十柱の神共に御守護下さるなり。

 

 故に其の道に付いて障り有り病苦等は皆埃なる故人間の心に感ずる不快も同じく残念遊ばすものなり、一切の働きがにんげんが成すに非ず、神様の御働き也。元々泥海中にて人間造り給える時に月日より道具神様に末の楽しみを御諭しなされて承知致されたる深き意味有る所也。

 

 身の内借り物の真理神人の関係等最も大切なる秘密の奥意の真理山々有れども是れを文書にて公にする事は畏れ多き事にて且つ信仰修養の日浅き人にては泥海古記等の真実真味に至れば中々分らず却って誤解を抱く事無きに非ず依って大略として置き御研究お希望するものなり。又身上借り物と云う理が分れば何かの事も鮮やかと仰せられたが中々分った様で早速分らんものなり。